印刷会社が事業を拡大する際、よく用いられるのが、既存製品の販売数量を増やしたり、より高付加価値な製品を提案したりする「アップセル」と、ラベルや軟包装、アパレルなどの関連分野へ事業を広げる「クロスセル」です。
しかし、成長のために本当に必要なのは、印刷物をもっと売ることなのでしょうか。
HPのYoav Lotan氏は、Edge Vietnamで開催された講演「Nonstop Digital Printing Journey」で、印刷会社に新たな視点を提示しました。
「今、手がけている仕事の中に、まだビジネスとして形になっていない価値が眠っていないだろうか?」
顧客が印刷物を発注するのは、単に印刷された製品が欲しいからではありません。その先に達成したい目的があるからです。
例えば、ラベルを発注するブランドは、新商品の発売を目指しています。ダイレクトメールを活用する企業は、新たな需要を生み出したいと考えています。医薬品メーカーが重視するのは、品質のばらつきを防ぎ、供給網のリスクを減らすこと。そして、パッケージを発注するスタートアップ企業にとっては、自社製品を市場に送り出すことそのものが重要な目標です。
つまり、顧客が本当に求めているのは印刷物ではなく、印刷物を通じて実現したい成果なのです。
自社の強みを新たなビジネスに変えた企業の事例
Yoav氏は、もともと自社の事業を支えるために培った技術やノウハウを、新たな収益源へと発展させた企業を紹介しました。
Amazon:自社のIT基盤を、新たな事業へ
Amazonは、オンライン販売を支えるために大規模なコンピューティング基盤を構築しました。その技術やインフラを外部にも提供することで、Amazon Web Services(AWS)という新たな事業を生み出しました。
Shopify:自社店舗向けのソフトウェアを、世界中の事業者のために
Shopifyの出発点は、オンラインのスノーボード販売店を運営するために開発したソフトウェアでした。しかし、創業者は、その仕組みがほかの事業者にも役立つことに気づき、世界中の店舗がオンライン販売を始められるECプラットフォームへと発展させました。
John Deere:農業機械の販売から、農業経営の支援へ
John Deereは、センサーやデータを活用し、農家が土地や作物の状態、水や肥料の使用について、より的確な判断を下せるよう支援しています。農業機械を提供するだけでなく、農業経営そのものを支える事業へと領域を広げたのです。
Rolls-Royce:エンジンの販売から、安定稼働の提供へ
航空会社が必要としているのは、航空機のエンジンそのものではなく、予定どおりに飛行できる安定した運航環境です。Rolls-Royceはこのニーズに着目し、エンジンを販売して終わるのではなく、稼働状況の維持や保守・整備までを含めて支えるビジネスモデルを構築しました。
これらの企業に共通するのは、既存の製品や技術を出発点としながら、顧客が本当に解決したい課題に目を向けたことです。提供する価値を捉え直したことで、新たな成長の道が開けました。
Yoav氏は、印刷会社にも同じ発想が求められると話します。
自社が持つ専門知識や製造ノウハウ、業務プロセス、パートナーとのネットワークを活用すれば、顧客の課題をもっと広く解決できるのではないでしょうか。
ここからは、印刷会社が既存の強みを新たなビジネスにつなげる3つの方法を紹介します。
機会1:ブランドの製品発売を、もっとスムーズに
ブランドがラベルやパッケージを発注するとき、必要なのは印刷だけではありません。デザインデータの準備、内容の確認や承認、印刷用データの作成、印刷、後加工、物流など、多くの工程が関わります。
発売日が決まっている場合、ブランド側は複数のサプライヤーと連絡を取り合い、各工程の進捗を管理しながら、すべてを期限までに完了させなければなりません。調整に手間取れば、製品の発売そのものが遅れる可能性もあります。
一方、印刷会社やコンバーターは、こうした一連の工程について、すでに多くの知識と経験を持っています。
であれば、印刷工程だけを担当するのではなく、製品発売までのプロセス全体を見渡し、より多くの工程をまとめて支援できないでしょうか。
Yoav氏が紹介したのは、こうした考え方を「brand launch in a box」として形にするアプローチです。
企画段階から店頭に製品が並ぶまで、印刷会社やコンバーターが一貫して支援することで、ブランドは複数の業者を個別に調整する負担を減らし、よりスピーディーかつ確実に製品を市場へ投入できるようになります。
このモデルでは、印刷会社が売るものも変わります。
ラベルやパウチ、紙器を納品するだけではなく、発売までの時間を短縮し、関係者間の調整を減らし、発売直前のトラブルを防ぐこと自体がサービスの価値になるのです。
このビジネスを検討する際は、次の4点を確認してみましょう。
- 顧客は製品発売までのどの段階で、最も時間を取られているのか。
- 承認手続き、サプライヤーとの連携、製造工程のうち、どこに遅れや混乱が生じやすいのか。
- そうした課題のうち、自社がすでに個別対応や無償のサポートで解決しているものはないか。
- その支援を、内容や提供手順を明確にした有料サービスとして展開できないか。
機会2:品質管理を、顧客の事業リスクを減らすサービスへ
印刷会社では、色校正や品質検査、検査記録の作成、印刷結果の確認、品質レポートの作成などが日常的に行われています。
こうした業務は、製品を出荷するために欠かせない作業として捉えられがちです。しかし、顧客の業界によっては、これらの取り組みそのものが大きな付加価値になります。
特に、医薬品、医療・ヘルスケア、食品、消費財などの分野では、印刷物の見た目がよいだけでは十分ではありません。
顧客が必要としているのは、次のような安心です。
- いつ製造しても品質が安定していること。 生産ロットが変わっても、色や仕上がりに大きな差が生じないこと。
- 必要な規制や基準を満たしていること。 要求される品質基準やコンプライアンス要件に対応できること。
- 必要なときに製品を安定して供給できること。 品質上の問題や供給の混乱によって、事業に支障が出ないこと。
- 市場で製品を正しく識別できること。 消費者が店頭などで、ブランドや製品を確実に見分けられること。
印刷会社にとっては、日々の品質管理を単なる製造工程の一部として終わらせず、顧客の事業を支えるサービスへと発展させる余地があります。
例えば、色再現性の測定・記録、許容誤差の取り決めと管理、監査に必要な記録の保存、校正・承認プロセスの整備、規制要件への適合確認、サービス水準の明確化などを、ひとつのサービスとして提供する方法が考えられます。
こうすることで、顧客に対して「高品質な印刷物を納品します」と約束するだけでなく、品質のばらつきや供給上の問題が事業に与える影響を抑え、より安心して事業を運営できる環境を提供できるようになります。
この可能性を探るには、次の問いが役立ちます。
- 顧客は、品質や供給に関してどのようなリスクを最も心配しているのか。
- 自社では、すでにどのような検査や品質レポート、証明・記録書類を作成しているのか。
- 既存の管理業務を組み合わせて、正式な品質保証サービスとして提供できないか。
- 顧客が毎回の生産に安心して任せられるようにするには、どのような記録やデータを示せばよいのか。
機会3:印刷物を納めるだけでなく、マーケティングの成果を生み出す
商業印刷会社には、パーソナライズされたマーケティング施策を実現するための要素が、すでにそろっていることがあります。
顧客データの活用、受け手に合わせたコンテンツの制作、画像の準備、印刷技術、QRコードの実装、発送・配送などが、その一例です。
しかし、これらの機能が個別に提供されている場合、顧客はそれぞれを組み合わせ、キャンペーンを運営し、最終的にどのような成果が得られたのかまで自ら確認しなければなりません。
そこで、印刷会社が自社の技術やノウハウを外部パートナーの能力と組み合わせれば、より幅広い支援が可能になります。
例えば、顧客データをもとに受け手ごとに内容を変えたクリエイティブを制作し、印刷物として届ける。その後、QRコードなどを通じて顧客の反応を捉え、キャンペーンの効果を測定する。こうした一連の流れをまとめて支援するのです。
このようなサービスを提供できれば、顧客との商談で話し合う内容も変わります。
印刷部数や用紙・フォーマット、1部当たりの単価だけではなく、見込み顧客をどれだけ獲得できたか、購入や問い合わせにつながったか、顧客との関係を深められたか、売上をどれだけ伸ばせたかといった成果について議論できるようになります。
つまり、印刷会社が提供する価値を、印刷物の制作からマーケティング成果の創出へと広げることができるのです。
この方向性を検討する際は、次の点を考えてみましょう。
- 顧客はキャンペーンを通じて、具体的にどのような成果を得たいと考えているのか。
- 印刷物への反応を、問い合わせや購入などの測定可能な行動につなげられるか。
- 顧客データやパーソナライズを活用することで、情報を受け取る人にとって、より関心の高いコミュニケーションを実現できないか。
- 自社だけでは対応できない領域を補うために、どのような企業と協業できるか。
新たなビジネスの可能性を見つける6つのステップ
新しいビジネスを始めるからといって、最初から大規模な投資をしたり、完璧な事業計画を用意したりする必要はありません。
Yoav氏は、リスクを抑えながら新しいアイデアを試し、事業化につなげるための6つのステップを提案しています。
STEP 1:顧客が抱える課題を見つける
まずは顧客と対話し、日常業務で繰り返し発生している問題を洗い出します。時間やコストがかかりすぎている、リスクが大きい、売上機会を逃しているなど、顧客の事業に影響を与えている課題を特定します。
STEP 2:顧客に提供する成果を明確にする
どのような印刷物を提供するかではなく、サービスを利用した顧客に、どのような変化や改善をもたらしたいのかを考えます。目指す成果を明確にすることで、サービスの方向性が定まります。
STEP 3:まずは1社の顧客で試す
最初から幅広い顧客に展開するのではなく、1社の顧客や小規模な試作品、パイロットプロジェクト、具体的な利用ケースを通じてアイデアを検証します。実際の顧客の反応を確かめながら、改善点を見つけていきます。
STEP 4:サービスの内容を整える
試験的な取り組みで手応えが得られたら、サービスとして提供する内容を具体化します。どこまでをサービスに含めるのか、どのくらいの頻度で提供するのか、価格はいくらか、どの水準のサービスを約束するのかを明確にします。
STEP 5:提供価値を数字や事実で示す
サービスによって顧客の業務時間を短縮できたか、リスクを減らせたか、効率を改善できたか、売上などの事業成果につながったかを確認します。こうした実績を記録し、サービスの価値を客観的に説明できるようにします。
STEP 6:成功した仕組みをほかの顧客にも展開する
パイロットプロジェクトで効果が確認できたら、その取り組みを標準化し、同じような課題を抱えるほかの顧客にも提供できるサービスへと発展させます。成功の再現性を高めることで、持続的な事業成長につなげます。
すべてを自社だけで実現する必要はない
Yoav氏が紹介した企業の成功には、いずれも外部の技術や専門家、パートナーとの連携が欠かせませんでした。
Amazonはテクノロジーパートナーとともに事業を発展させ、Netflixはコンテンツ制作者の力を必要としました。John Deereにはデータやセンサーの専門知識が必要であり、Rolls-Royceはエンジンの保守・整備を担い、サービスの約束を果たすためのネットワークを構築しました。
印刷会社も例外ではありません。
新たなサービスを始めるために、ソフトウェア開発、物流、マーケティング、コンプライアンスなど、あらゆる機能を自社で一から構築する必要はないのです。
まずは、自社が顧客に対してどのような成果を提供したいのかを明確にする。そのうえで、足りない技術や専門性を持つ企業と連携する。そうした進め方が、より現実的な選択肢となるでしょう。
この点で、Dscoopのコミュニティも大きな役割を果たします。
同じ印刷業界で事業を営む仲間や、テクノロジー企業、ソリューションパートナーとの交流を通じて、メンバーはさまざまな経験やノウハウを共有できます。ある市場で成功したビジネスモデルが、別の市場で新たなサービスを生み出すヒントになることもあるでしょう。
アイデアを持ち寄り、パートナーシップを築き、互いの知見を活用することで、すべての課題を自社だけで解決しようとする必要がなくなります。
成長のヒントは、すでに自社の中にある
次の成長を実現するために、必ずしも新しい印刷製品を開発する必要はありません。
すでに自社が持っている技術やノウハウ、日々の業務の中で培ってきた経験が、まだ気づかれていない新たなビジネスの種になっているかもしれません。ただし、その強みを顧客にとっての価値として捉え直し、具体的なサービスとして形にしなければ、事業の成長にはつながりません。
大切なのは、自社の中に眠る可能性を見つけ、その価値を実証し、顧客に継続して選ばれるサービスへと育てることです。
顧客が本当に求めているのは、印刷物そのものではなく、その先にある成果。
その視点から自社の事業を見直すことが、次の成長への第一歩となるのではないでしょうか。